2015年夏合宿 穂高連峰

 

参加者 (前半組) 森田、島根の吉田、吉田()、檜垣、川平、榊原、池崎

 

日程 2015年8月8日()〜11日()

7日 大阪出発(夜行バス)

8日 松本〜上高地〜涸沢

9日 涸沢〜北穂東稜〜北穂〜白出のコル〜涸沢 (森田、川平、榊原、池崎)

涸沢〜北穂〜滝谷ドーム (島根の吉田、吉田(研)、檜垣)

10日 涸沢〜前穂北尾根〜前穂〜奥穂〜白出のコル〜涸沢(森田、川平、榊原、池崎)

涸沢〜前穂4峰正面壁 (島根の吉田、檜垣)

11日 涸沢〜横尾〜上高地 (檜垣、川平、榊原、池崎)

 

今回は参加者のレベルに合わせて二手に別れる計画となった。

 

8月8日()  晴れ

(全員)

夜行バスで松本駅に到着し、タクシーに乗り上高地へ。

上高地から明神、徳沢、横尾、本谷橋とそれぞれで長めの休憩を取り快調に進む。

途中何ヵ所かで立ち止まり、島根の吉田さんに明神岳や屏風岩を眺めながら登攀ルートを教えてもらい、いつかは自分も登りたいと思いを馳せる。

涸沢まであと少しの距離でまさか左の太ももがつってしまい、涸沢までなら楽勝と大汗をかいているにもかかわらず水しか摂取していなかったのがダメだったのか、

川平さんがそっと塩タブレットを差し出してくださり、優しさの入ったタブレットを噛み砕き、それからは症状も治まり安堵した。

涸沢へはちょうど6時間で到着。テント適地を探すが雪渓が多くなかなか良い場所がなく、ピッケルをテコ代わりに地面に埋まった大きい岩を何個も掘り出す土木作業に汗を流すこと30分、

なんとか6人用テントと2人 用テントを設営でき、アルデ管理と書いた看板と料金箱を置いておこうかなどと笑い話で盛り上がった。

それからは各々が雪渓へ食材を埋めたり、小屋に水を汲みに行ったり、夕食の準備を開始する。

昼間は天気もよく熱中症の心配をするほど暑かったが、日が暮れると雪渓を通り抜けてくる穂高から吹き下ろす風が冷たく、

まるで冷蔵庫の中にいるかのような寒さのため、テント前での夕食が終わるとすぐに6人用テントにもぐり込み、明日に向けての準備をしながら軽めの宴会を楽しんだ後、20時に就寝する。

 

8月9日()  晴れ

(森田、川平、榊原、池崎)

3時に起床し、手早く朝食を済ませ4時にテントを出発。

北穂南稜に向かって30分ほど歩き、途中から一般ルートをはずれ東稜取り付きを目指す。

途中カチカチの雪渓をトラバースする場所に出くわし、会長がピッケル・アイゼンなしで果敢に立ち向かうが歯が立たず、

それならばと尖った岩をピッケル代わりにするがやはり歯が立たず、笑いながら悔しがる会長の表情がみんなを和ませてくれた。

それから笑い話をしながら稜線へ上がると、右手に槍ヶ岳、左手に前穂北尾根と快晴の中に絶景が広がっており気持ちが高揚する。

すぐ前に1パーティーおり、少し距離を置いて会長を先頭に歩を進め、ほどなくしてゴジラの背取付きに到着し順番待ちをする。

そろそろ我々もと準備をしていると、後続のパーティーが無言で我々を抜いて行ってしまうので、「ちょっとちょっと順番待ちしてるんですよ」と思わず叫んでしまった。

核心であるゴジラの背は会長がリード、池崎・榊原さんがアッセンダー、最後に川平さんの順で進む。

事前にネットなどで高度感がすごいと情報を得ていたが、実際に自分が体験してみると、景色の雄大さや楽しさや必死さで高度感の記憶がまったくない状態である。

ゴジラの背が終わってからはロープなしで北穂高小屋へ進み、あまりの空腹に山荘のテラスでアンパン2個を食べる。

北穂山頂を少し越えたあたりで別チームの3人が登っているはずの滝谷ドーム中央稜を眺めるが見付けることができず残念であった。

それからは早めのペースで涸沢岳〜白出のコル(穂高岳山荘で休憩)〜ザイデングラートと進み、昼過ぎには涸沢のテントに戻ることができた。

 

 

8月10日()  晴れ/雨

(森田、川平、榊原、池崎)

3時に起床、4時を少し過ぎたころにテントを出発。

吉田(研)さんは下山、別チームは前穂4峰正面壁を登るため別行動となる。

我々は涸沢カールに広がる雪渓を登る。

一般的には前穂北尾根を目指すなら5・6のコルより5峰を経て4・3峰と進むらしいが、今回は混雑を予想して時間短縮のために3・4のコルから3峰へと進むルートを選択。

しかし、このルートで大いに苦しめられた。5・6のコルへは雪渓をまいてガレ場を歩けるのだが、今回のルートはずっと雪渓が続く。

会長からは「できるだけアイゼン・ピッケルなしで登る練習をしよう!」と・・・。

その会長の言葉に負けないよう意地でも使うまいと誓い、最初はモルゲンロートに染まる穂高岳を眺めながら気持ちよく登るが、

斜度が強くなり始めると両手も使い、最終的には尖った岩を両手に持ちピッケル代わりに登ることとなった。岩を使うのは反則か?と思いながらも「アルパインはどんな手段でも登りきることが大事だ」と勝手な持論で自分を納得させた。

雪渓が終わると稜線まであと50mほどのガレ場が現れ、足をそっと置くだけでもガラガラと崩れてしまうほど不安定な状態だったが、

稜線からは数人の話し声が聞こえてくるので、少しでも順番待ちを減らそうと急いだ。

ガレ場から稜線に出ると3峰取付き点の目の前で、すでに1パーティーが取付いており、次いで3名のパーティーが順番待ちをしていた。

順番待ちしてたパーティーからは「どこから登ってきたんですか?」と驚かれたので、ルートを説明するとさらに驚かれた。

後で会長から聞いたのだが、そのパーティーのおひとりはアルデのことを知っているようで、「あの有名な山岳会の会長さんなんですか!」と芸能人に会ったかのような様子だったそうだ。

そして我々の順番となり川平さんがロープを準備しようとしたが、「途中まではロープなしで行く」と会長からの指示が・・・、会長、けっこう高度感があって怖かったですよ・・・

いよいよ1P目が始まった。会長リードで登るのだがすぐに前パーティーに追いついてしまい、年齢を感じさせない会長の身体能力のすごさを改めて感じた。

会長に続いてアッセンダーで自分が登り、続いて榊原さん、川平さんと登り終了。

P目を会長が登りはじめると後続パーティーの先頭が追いついてきたが、

狭いうえにビレイする支点もなく足場も不安定で場所で立ち往生してしまい困っていたようで、人気ルートはこんなこともあるんだと勉強になった。

そんな事をしていると早くも会長の「早く登っておいでー」と声が聞こえる。

P目も登っている途中に前パーティーに追いついてしまい途中で止まっていたはずなのに?と不思議に思いながらも終了点に到着。

どうやら会長は渋滞をさけるためだけでなく少し難しくておもしろいからとの理由で違うルートを登ったのだった。その後のピッチも同じような感じで楽しく登らせていただき3峰を終了した。

3峰に続く2峰はとても短く10mほど懸垂降下し終了。その後はロープを使うことなく前穂山頂へ到着した。

山頂からの景色を楽しみにしていたのだが、3峰3P目あたりから徐々にガスが出てきており、山頂に着いた頃には景色がまったく見えないほどのガスに覆われていた。

「次は自分の力で前穂北尾根を登って景色を味わうのだ!」とリベンジを誓った。

山頂からは一般道を使い、紀美子平〜吊尾根〜奥穂〜白出のコルと早足に進む。このあたりから会長は腰痛が出てきたようで辛そうだった。

穂高岳山荘で少し休憩をしザイテングラートで涸沢へ降りる。

「昨日に続いて2日連続のザテンはさすがに辛いね」と話していると、会長が「俺は合宿後半にも同じことするからあと2回ザイテン降りるんやぞと」うつむいておられた。

テントに到着した頃には雨が降っており、テントに潜り込んで榊原さんの将来について語ったり、会長の武勇伝を聞いたりと楽しい時間を過ごした。

川平さんが疲れから爆睡してるうちに日も暮れはじめ、4峰正面壁チームのことが心配になり何度か無線で呼び出すもまったく応答がなく、とりあえず夕食の準備をして待つことにする。

完全に日が暮れてしまい、いよいよ事故でもあったのかと思っていると無線に応答があり、色々とトラブルがあったが無事であるとこを確認できた。

結局4峰正面壁チームがテントに戻ったのは20時頃になり、それから遅めの夕食を取りながら色々と聞いたが、檜垣さんが肋骨を痛めたようで、山の怖さを改めて認識することとなった。

 

 

8月11日()  晴れ

(檜垣、川平、榊原、池崎)

この日は下山するだけで、バスの時間までも余裕があったので5時に起床する。

朝食に榊原さんがトマトチーズリゾットを作ってくれる予定だったが、雪渓に埋めておいたチーズが謎の失踪事件となり、チーズなしリゾットとなった。

しかし、生米から作ったのでかなり美味で、次はチーズ付でさらに美味しいリゾットを食べたいと思った。

のんびりと準備を整え、会長と島根の吉田さんを残し上高地へ向けて出発した。

肋骨を痛めた檜垣さんは一番重いザックを背負いながらスタスタと歩いており、細い体のどこにあのようなすごいパワーがあるのか不思議だった。

途中、ちょっとしたハプニングが何度かあり、予定より下山が遅れてしまったが、小梨平でお風呂に入り、お疲れ乾杯も済ませ、時計を見ながら駆け足でバスターミナル向かい、バス出発10分前になんとか到着し、初めての合宿を終えることができた。

 

 

感想

初めてのバリエーションルート、初めての合宿と色々な不安を抱えたまま望んだ三日間だったが、終わってみればこれまでにないほどの経験と充実感を得ることができた。

初心者同然である自分を色々と引っ張ってくださった会長や諸先輩方には感謝の言葉しか出てこない。今後はもっと精進し、自分自身の力で登る力を身に付けたいと思う。

 

文章/池崎