八ヶ岳 赤岳主稜 (2016/12/30)

メンバー:中嶋、小林、山口、近藤、きなこ

 冬季アルパイン入門ルートの「赤岳西壁北峰リッジ(赤岳主稜)に行って来ました。

◆概要

◆詳細

12/30 (金) 赤岳主稜

 冬季アルパインの入門ルートである赤岳主稜は非常に人気があり、渋滞が考えられたため4:30出発に決まった。5時過ぎに行者小屋に着き、小休憩。辺りは暗く、文三郎道からの分岐を見逃さないようにゆっくりと進むべしと話し合う。テントに明かりは灯っているが未だ出発しそうなパーティーは見当たらなく、文三郎道へ入っても深夜に降り積もった雪に踏み跡はない。どうやら我々が先陣を切ったようだ。

 急登が続き、風は強くなる。ちょうど1時間程歩いただろうか。分岐付近と思われる箇所に着いたがまだ暗く、目印のチョックストーンも視認出来ない。様子を見ていると後続パーティーがやってきた。ヘルメットを被りクライマーらしくみえたので、同じ方向を目指すものかと緊張したがそのまま山頂へ向かって歩いて行った。中嶋さんと小林さんが、ここぞと思われたチムニーへ向かってトラバースの道をひらいた。合図を待ち、取付きに向かう。トラバースは雪が硬めで比較的歩きやすかったが、滑落は許されないパートだ。取付きにて皆揃い、しっかりとした支点に自己確保をとり登攀準備をしていると、空が白み、出立のお誂え向きとなった。

<▲まだ薄暗い文三郎道の分岐地点>

 先発隊は3名で山口くん・近藤くんがリードを交代しながら、中嶋さんが始終フォローで登る。後続を小林さん・きなこが続く。1班と2班の間、中嶋さんが両パーティの具合を常に確認してくれ心強かった。ビレーステーションについては始終アドバイス頂き、お世話になった。

 奇数P:きなこ 偶数P:小林さん

 1P目、7:20 第1班登攀開始。山口くんのリードを見守り、フォローも登ると後に続いた。出だしのチョックストーンの隙間は完全に雪で埋まっていて各所薄く氷がついている。ステミングで足をあげて行くのだが、なんだか怖い。右手のアックスが上部で一箇所しっかりと効いたが、その上のテラスには15pほどのフワフワとした雪が積もっている。アックスはスカスカと空振って、効く場所がなく焦る。左手のパンチングで雪を固めて足をバタバタとさせながら無様にもなんとか登った。見上げるとオレンジと青のまだ真新しく見えるフィックスロープがルート左部に垂れ下がっていた。何のためか、気になる。それを見ながら中間支点を1つとって、1班を目指し同じ大きな岩でビレイポイントとした。

<▲赤岳主稜 取付き>

<▲1P目リードの山口くん>

 2P目、リード小林さん。1P目終了点より2m程上がった所にしっかりとした支点があった。雪で隠れて探しにくい。少しの岩稜帯を抜けるとここから200m程はほぼ雪稜、5Pほどツルベで登り「上部出だしの岩場」(核心凹角)についた。途中「中間の岩場」あたりからは阿弥陀岳が美しく、赤岳へ向かう登山者の姿が点々と見えた。空は真っ青で晴れ晴れとしているが、風が強く頬を打ち、つらい。全ピッチを通じて、中間支点を取ろうと良さそうな岩を探すが見つけることが難しかった。良さそうなピナクルを見つけては無理にでも取るように心がけた。

 3P目(トポ上での4P目)、しっかりとした支点があったが四人も固まれば狭苦しいテラスで待機。近藤くんがフォローで登りだすが、縦走用のピッケルでは少し長さが不便そうで少し難儀しているようだ。中嶋さんに激励され(「なにしとんじゃ、さっさと登らんかい!」)火がついた。日陰で寒さが堪えるが、指の冷たさはそうでもない。いよいよの核心パートと思われる箇所は氷が締まっていて、アックスが気持ち良く効いて快適であった。一番おもしろく感じるパートであった。その後、ほぼ階段状の岩と歩きの3ピッチをつなぎ終了点へ。風はさらに強く、コンテで急いで赤岳山頂へと向かった。11:20登攀終了。

<▲「中間の岩場」より上部>

<▲「中間の岩場」辺りよりの眺望 阿弥陀岳=

 第1班と同じ箇所でピッチを切っていったが、事前に記録で読んでいたようなロープの流れの悪さは感じなかった。山口くんと近藤くんが適切な場所でビレイポイントを作ってくれたのだろう。下降路は文三郎道にて。途中レスキューヘリがやってきた。後の調べによると地蔵尾根で滑落事故があったとのこと。1時間ほどで行者小屋に着き、休憩とガチャ分けを済ませベースキャンプへ戻った。

<▲登攀終了>

<▲赤岳山頂にて@>

<▲赤岳山頂にてA>

<▲目印のチムニー>

ビバーク訓練

19:00 開始 3:00 終了 (8時間)

第1班:森田・平山 第2班:中嶋・深美 第3班:小林・小澤・きなこ 第4班:山口・近藤

 合宿の計画書に「ビバーク訓練」の文字を見た日から、極度の不安に襲われつつ当日を向かえた。皆のそれが伝わったのか、終了時間が3:00となったことが唯一の救いかとも思ったが内心24:00までならいいのにな、と弱い気持ちから逃れられずの決行となった。

 この合宿中驚くべきポジティヴシンキングを連発させた平山さんは、自ら森田会長との朝までのビバークを希望し「いやぁ、楽しみだなあ!」と破顔する。信じられぬ。結果から言えば、いびきをかいての熟睡を得たとのことで、さすがの一言に尽きる。

 17:30過ぎ、ベースキャンプにやってきた深美さんと小澤さんを迎える。やっとこの地に着いた日にビバーク訓練とは、と内心同情に溢れた。晩御飯のチャーハンと豚汁のフリーズドライ食を出来る限りのろのろと口に運び、18:30頃よりなるべく時間をかけて準備を起こす。ビバーク地は各班の判断に委ねられ、それぞれの方向へ散り散りになった。小林リーダーが、「街(テン場)の明かりのみえる場所にしよう!」と、ベースキャンプからほど近く、木に囲まれて落ち着いた場所を探してくれた。整地をして、ツェルトの紐を木にくくりつけていると、ようやく覚悟のようなものがうっすらと芽生えた。新人の特権か配置を真ん中に勧めてもらい、小林さんと小澤さんの間に居場所を固める。19時過ぎ、どうやら逃れることのできない長い夜の幕開けとなる。

 下に敷いたロープやザックの上に腰を下ろし、シュラフカバーを体にかけたりまいたりし、とりとめのない話をする。小林さんの配ってくれる珍しく美味しい行動食や豚汁を口に運んでいると少々緊張もほぐれてきた。女子三人でぴったりサイズのツェルトの中、最初こそはテントとさほど変わらない暖かさにも思えたが、21:40を過ぎた時点で、お尻から伝わる冷たさがすでに身体を支配した。丁度その頃、半開きなっていた私のテルモスからお湯が全て流れ出るという事件が発生。かなり動揺するも、小林さんの的確な指示で大きな被害もなく収束できた。少しへこむ。気を取り直し、7年前に買ってからお守りとなっていたレスキューシートを取り出した。手のひらサイズのそのシートは一畳より一回り程大きいサイズまで広がり、三人の上を充分に覆った。ギラギラと輝く銀面を見ているだけで、なんとなしに温もりを覚えた。

 その後、冷えていくばかりの指先と不自由さに@「靴をぬいでみよう!」という提案と、体育座りでは眠れない状態にA「寝転がってみよう!」に挑戦し、窮屈ながらも安らぎの体勢を手に入れることができる。正直私はどちらもやってみる勇気がなく、お二人の果敢なあれこれを様子見して「いけそう!」の声を聞いても尚逡巡しての決行だった。自分の臆病さが身にしみる。ひとたび意を決して横になると、もうこのまま時間まで寝てやろうと腹をくくった。加藤文太郎だって、お腹に沢山食べ物が入っている状態で眠っても死にはしないと言っていたではないか。その内真っ先に「すうすう」と静かになってしまった私を心配して、「起きてるか?!」と生死の確認がなされたが「起きてますぅ〜、むにゃむにゃ」としばしまどろんだ。

 1:30のコールを聞くと、なんとか時間まで耐えられる、あと一眠りと頑張った。2:40のコールを聞いた時には家(テント)に帰れる、、、!という喜びが湧いて出た。2:50撤収開始。後片付けをして、小走りで徒歩3分のベースキャンプへ舞い戻った。お湯をわかしてお茶を飲み、あたたかいシュラフに包まり8:30までぐっすりと眠った。

 寒さが限界になった頃の秘密兵器として楽しみにしていたガスセットは、点火ならず、無念にも暖をとることが叶わなかった。朝に確認すると、不具合は解決。
もう少しあれやこれやと試してもよかったのだろうが、「点かない」の声を聞いて私は簡単に納得して火を焚くことをあきらめた。反省。

 「実際、いざビバークを決め腰を下ろした時には疲労にまみれ、シュラフカバーに足を入れようなんて余力も残っていなかったりする。」と話した森田会長の言葉を思い返す。各班のその夜の過ごし方を聞き、また勉強となった。女子3人で過ごしたこの一夜、忘れないだろう。私の中では勝手ながら戦友のような温かいものが芽生えた。森田会長と平山さんペアは合宿中あれだけ色濃く過ごされた仲でのこの時間、より愛が深まっただろうと想いを寄せながら、このビバーク体験談に終止符を打つことにする。

 最後に、初めての冬合宿と四年ぶりの雪山ということで緊張しながら臨んだのですが、事前に食事について詳しくアドバイス頂きました先輩、「気をつけて」「いってらっしゃい!」と励ましの声をかけてくれた方々、合宿中温かい目で見守り、楽しいお話や言葉をくれた皆さんに心から感謝申し上げます。

文章:きなこ