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『冬合宿 阿弥陀北陵』篇

森田 平山


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(水)午前5時過ぎに下山する吉田さんが「行者小屋まで一緒に」と言うことでBCから森田会長と
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人で夜明け前の薄暗い登山道を進み行者小屋に到着。
吉田さんと別れ、アイゼン・ハーネス等登攀道具を身に付け、いざ出発。
と思いきや森田会長から「ちょっとここでラッセルしよか」と。
で、阿弥陀への登山道へは行かずラッセル講習の始まり始まり。
まずは、足の動かし方。弧を描くように足を運ぶとの指導。
今まで我流での冬山登山の経験しかない私にとっては、森田会長の一言一句が全て目新しく新鮮で
森田会長の真似をするも、ラッセル後の自分の足跡を振り返ると森田課長のそれとは似て非なるもの(涙)
森田会長からは、「そのうちラッセルを経験すれば、上手くなる」との慈悲の言葉。
行者小屋前のラッセル練習後、文三郎道へ。


赤岳への分岐から沢伝いの定番の阿弥陀登山道へ。
ところが森田課長から「ここから登ろうか。尾根に出よう」と。
「えっ、この急坂から尾根に!」と(心のつぶやき)
まずは、森田会長のラッセル模範演技。
「今までテレビ等で見たラッセルと違う」と(心のつぶやき)
以前、小林さんから聞いていた森田会長のラッセル。
まるでミズスマシがラッセルしているかのような滑るように登る名づけて「ミズスマシ・ラッセル」
踏み跡浅く小さくスイスイのラッセルに驚愕。
「人間技ではない!」と(心のつぶやき)
森田会長の真似をするも私のラッセルはツボ足ラッセルで森田会長の踏み跡をことごとく破壊。
息を切らし、もがく私ですが森田課長の息は上がらず、改めて自分のスキルの低さに打ちひしがれたのです。
阿弥陀北陵への取り付けまで、何度も斜面を使い、ラッセル・ピッケルワークのご指導を受けました。


阿弥陀北陵の取り付けには、すでに5組ほどのパーティが。
未熟な私でも分かる位の先行パーティの手間の悪さ。
ここで森田会長が「巻こう」と。
で、アルデ山岳会年齢は上から二番目、スキルはダントツ最下位の私を伴い森田課長は
急坂を巻いたのです。
ここまで、ピッケルワークの手ほどきの成果か、難なく急坂の巻道も登り切り、2P目の取付きに到着。


我々の後にも他のパーティが続き、森田会長がリード。
森田課長から「岩場は5mほど」。
ビレイする私にロープは緩めにとのリクエスト。緩めにした私でしたが森田会長から
「もっと緩く」と。
「本の解説と違う」(心のつぶやき)
その後、セカンドの私が登り、ここでロープワークの不手際を森田会長から厳しく指導を受けました。
これは完全に私のミス、少し焦ってしまいました。
2P
目以降は急坂をピッケルを使い登り、無事、阿弥陀登頂。


阿弥陀から中岳への急坂を下り、猛烈な向かい風の中、文三郎道への出合に向け急坂を上り
文三郎道を下りました。
途中、斜面が少し緩くなった所から昨日に続きアイゼン無しの山行。
登ってくる登山者の目は明らかに疑いの目。
が、これも訓練と割り切る私。昨日、苦労したアイゼン無しの下りの山行は、森田会長の域には
ほど遠いものでしたが、滑るように歩く事が出来ました。


今回、全ての行程は、森田会長からのマンツーマンでのご指導で感謝しております。
森田会長を独り占めした私をお許し下さい。
また、合宿中、メンバー皆様の私に対する温かい言葉にも感謝しております。
これから自己研鑚に励み、次回、合宿も森田会長を独り占めする所存です。
ありがとうございました。

文/平山 徳夫