2003年12月30日-2004年1月2日 穂高岳 屏風岩東壁
メンバー/中嶋、真嶋



30日<晴れ> 釜トンネル前でタクシーを下車、ゲートにて山行届を提出する。初めて歩く釜トンネルはたいして凍結しておらずアッサリと通過。晴天の中をのんびりと横尾まで歩く。雪煙の舞う明神岳や前穂北尾根が美しく、思わず目を奪われる。横尾冬季避難小屋に入ってビックリ、慶応尾根を登高中のはずの森田さんがカマドの番をしている!前夜の降雪でトレースが全く無く、断念して戻って来たとの事。明日から天気は下り坂の予報。

31日<雪> 夜明け前の空に星は無く小雪がちらついている。5時 小屋を出発、トレースを追い快適に歩く。川の水量は少なく渡渉は楽勝。トレースのある1ルンゼ押し出しを黙々と登る。T4尾根に近付くと、先行パーティーの二人組が1p目を登攀中なのが分かる。
1p目 先行のセカンドが抜けてから8時に真嶋リードで登攀開始。夏の1p目は殆んど雪に埋まっており様相は全く違う。雪壁を10b程登り岩場を左に1b程トラバースした地点にて確保。
2p目 被り気味の岩を右から回り込みジワジワとせり上がる。スラブを残置シュリンゲに向かって直上。左へ3b程トラバースしてフェース下の確保点でピッチを切る。
3p目 フェースを上昇した後は左へ。雪を払い除けてホールドと支点を探す作業には骨が折れる。そのうえ頭上の岩場の抜け口からは激しいチリ雪崩の連続。無雪期にとった、左側の凹角内のクラックのあるルートに入るが、クラック左のフェースには支点は無い。クラックに手を入れ体を上げるも、カム類は用意しておらずプロテクションがとれない。微妙な姿勢で粘った末に力尽きて少し墜落、あきらめて右の脆い凹角に入る事にする。が、片足のスタンスが決まらず思いきって離陸出来ない。時間をかけて入り込むがなかなか先に進まずギブアップ。ずっとビレイで雪ダルマ状態の中嶋さんにリードを交代してもらう。中嶋さんのリード中に、突然1ルンゼ上部から低い嫌な轟音と振動がした。雪崩だ。反射的にカラダを岩に張り付ける。雪崩の通過中は薄暗くなり、強風に頬を叩かれ生きた心地がしない。取り付き付近にいたら一巻の終わりだった。真横を通過した雪崩の恐怖の覚め止まぬ中での登攀再開。上部の丈夫そうなハーケンまでザイルを伸ばしてくれて再び選手交代。今度は真嶋も空身でリードする。さきほど落ちた不安感から思いきった登攀ができない。不安定なスタンスに前爪をたてノロノロと進む。抜け口の直下で少し左へ移るところが悪く、今までにない緊張感に襲われる。相変わらず上からは多量のスノーシャワー。掘るより埋まるスピードの方が早い。左のブッシュに気休めにシュリンゲを絡めて気合いで乗っ越す。その上の溜った多量の雪を掻き分け氷にバイルを叩き込む。やっと到着したT4尾根下部岩壁の終了点では登攀開始から既に7時間が過ぎている。
 中嶋さんと自分のザックを引き上げていると先行の二人が下降してきた。東稜に取り付いたが強風雪のため1pで断念したとの話。行動の速い若い二人組に関心しながら、自分達の力の無さを情けなく思う。とにかくビバークできる所まで上がることにする。 中嶋さんリードで樹林帯の雪壁をザイルいっぱい伸ばし、太い木の根元にある懸垂用支点にてピッチを切る。薄暗くなり始めたのでヘッドランプを付け、真嶋リードでT4直下のチムニー目指して進む。かなりの雪が東壁から流れてきており結構なラッセルを強いられる。チムニーは完全に雪で埋まっている。T4での相当の雪掻きを敬遠して、軟弱にもT4手前でビバークすることにする。樹林帯最上部のブッシュに支点を取り整地しツェルトを張る。すでにあたりは真っ暗。ツェルトの中でザックに腰掛け紅茶を飲みながら『あ〜でもない、こ〜でもない』としょっぱい大晦日の登攀を振り返り二人で討論。そしてなぜだか明日は下降との考えになってしまう。一応、1時半に就寝。

1月1日<晴れ> 暖かいとはいえ深夜は冷え込んで熟睡など出来るはずもない。4時頃に湯を沸かして紅茶を飲む。すっかりテンションの落ちた二人は明るくなるのを待ち下降開始。敗退だ。樹林帯を懸垂で下部岩壁終了点へ。天候には回復の兆しが見られるが気分は果てしなくロー。T4尾根取り付き点まではさらに一回の懸垂で到着できた。  取り付き真横の岩小屋には今からソロで登るという人がいて、なんとも情けない複雑な気持になる。対照的な2パーティー。あざ笑う屏風を背に1ルンゼ押し出しを駆け降りて横尾の避難小屋へ。今日は完全休養の日として明日以降の行動を検討する。

1月2日<晴れのち曇り> さんざん時間のかかったT4尾根下部岩壁を再び登りに行くことにする。今回はビバークや上に抜ける為の装備を担がずに。他の登攀者の姿は無く屏風東壁は貸し切り。8時に取り付く。真嶋リードで快調にザイルを伸ばす。埋まったホールドや支点は掘り出さなければならないが、チリ雪崩が来ないから労力は半減。大晦日には出さなかったアブミも積極的に使用する、なぜ最初は使わなかったのだろう???終了点直下では風が出てきたせいかスノーシャワーを浴びながらの登攀となる。それでも結局は3時間足らずで登攀終了。この時点でも屏風に他には誰もおらず。すぐに懸垂下降し森田さんの待つ横尾避難小屋に向かう。14時すぎ小屋着、急いで荷物をまとめて坂巻温泉を目指して出発。すっかり陽が落ちてから釜トンネルをくぐる。一部凍結しているが三人とも転倒せずに通過。坂巻温泉で汗を流しタクシーで松本駅まで向かう。駅前の居酒屋で乾杯して、深夜発の『ちくま』に乗り3日朝に帰阪。

敗退の原因・・・計画の段階で、二人のこの合宿に求める登山行程に違いがあったことが挙げられるでしょう。真嶋は屏風東稜ルートを登攀後は前穂北尾根のトレースも熱望。中嶋さんは堅実な屏風のみの登攀にこだわりを見せました。同ルート下降にすれば荷は軽くなって精神的にも楽になり、登りきれたかもしれません。アイゼン&ザックによる登攀技術の不足もあるでしょう。合宿前に多少は登り込んだとはいえ、不十分だったと思えます。気象的条件のせいにするのはナンセンスでしょう。屏風は標高も低く、同じ穂高でも滝谷や前穂4峰などの岩場に比べると、寒さや風は格段に穏やかなのだから。

文章/真嶋

 T4尾根

 T4尾根下部岩壁

 東壁