2007年12月30-31日 小同心クラック
メンバー/大内、中嶋



12/30<曇り> 3:00起床。曇り空のせいか暖かい夜だった。5:00森田・辰巳・空本は石尊稜へ中嶋・大内は大同心へ出発。ヘッドランプで昨日のトレースを辿り7:00頃大同心の取り付きに着くが今日明日共天候は思わしくないので小同心クラックに転進をきめる。ガスの中、小同心を目指して沢をトラバース。9:00頃取り付きに着く。ビレイ用のハーケンが1枚あったのでもう1枚足してビレイの準備をする。行きがかり上大内がビレイし中嶋リードで1P目開始。少し右よりから登り始める、雪を払いホールドを探り苦労しているようだ、ピンもほとんど無く岩角にシュリンゲを掛けたりキャメロットをセットしたりしながらザイルを伸ばしてゆく。風は冷たくビレイする指先は痺れている。ガイド登山?らしき2人パーティーがやってきて準備をしている。コールが掛かり大内が登り始めるとビレイもそこそこに後続が登り始めた。「ちょっと乱暴やな」と思いながら痺れた指先では上手くホールドを摑めないのでバイルで岩角を引っ掛けながら登る。結構キビシイ。1P目が終った時には指先がちぎれそうに痛くリードする自信が無かったので2P目も中嶋にお願いする。暫くすると指先にも血液が巡りだし痛みも無くなり2P目を終え3P目はリードすることが出来た。コンテで少し歩くとまた岩場が出てきた。少し迷っていると「小同心は6回目」と言う後続パーティーが先行して登ってくれたので後に続いて大内リードで4P目を登り終えると横岳の頂上にでた。頂上の看板を終了点にして中嶋をビレイし1:30に終了。
 稜線はさらに風が強く、写真を取り合いそそくさとギアをザックに仕舞い下山を開始する。クサリ場を越え台座の頭付近から風は一層激しく吹き荒れ、耐風姿勢をとっても吹き飛ばされそうになり何度も這いつくばって歩を進める。岩には巨大なエビの尻尾が張り付いている。中嶋は眼鏡が凍りついてほとんど前が見えないので大内が先に歩くが左目のコンタクトが飛ばされた様であまり見えていない。ホワイトアウトの中にうっすらと見える夏道の杭だけが頼りだ。道幅が広くなり杭が減ってきた頃右手に小屋の屋根が見えたが無視して先を急いでいると後ろから中嶋が大内のザックを叩いて「ちょっと寄って行こう」と言うので引き返して小屋に行ってみる。小屋は稜線から少し下がった位置にあるので急に風が弱まりホットする。営業していないと思っていたので建物のかげで休憩していたが発電機の音が聞こえるので入口のドアを開けてみると営業中だった3:00。中に入るとスタッフが熱いお茶で出迎えてくれた「ありがたい!」。
 小休止後体勢を立て直して再び下山を始めるが硫黄岳山頂一帯は平でだだっ広く7つのケルンだけが道しるべなのにガスに閉ざされて二つ目以降が見つからない。下手にウロウロして方角を失うと取り返しのつかない事になりそうなので安全策をとって小屋に戻ったが3:30実は二人とも財布も身分証明書も持っていない、しかし振込みをするという事で快く泊めていただいた。暖かい小屋で生き返った気分でくつろいで居たが赤岳鉱泉のベースが気がかりだ。何度も無線を入れるが応答が無い。今夜還らなければツェルト一枚しか持って出てないのでかなり心配するだろう。スタッフにお願いして鉱泉に電話してもらい硫黄小屋に泊まる事をベースのメンバーに伝えてもらう様頼んだ。ようやく電話もつながり一安心、これでゆっくり寝れる9:00。

12/31<曇り> 7:00に朝食を済ませ8:30小屋を出る。昨日よりも風が強そうだ。視界は相変わらず悪いが朝日で明るい分昨日よりまし。大ダルミ付近の風雪は超一級だがケルンを追って何とか硫黄の頂上まで辿り着く事が出来た。そこからは何となく夏道っぽい跡を追って下ってゆく。9:00赤岩の頭付近、前方にケルンがうっすら見えてきた。青と黄の標識が付いている様に見える。「何が書いてあるのかな?」と目を凝らして近づいて行くとどうやら人の様だ。ケルンにもたれて休憩している?少し様子が変なので「コンニチハ」と声を掛けてみるが返事が無い。さらに近づき「コンニチハ」と声を掛けるとハッと我に返った様子で驚いたように我々の顔を交互に見ながら「アー」とか「ウー」とか言葉にならない声を出している。非常に衰弱しており意識も混濁しているようでこの風雪の中左手の手袋を外し、帽子も脱いでいる。我々2人とも初めての経験なのでどうしてよいか分からなかったが「とにかく助けなくちゃ」と先ず中嶋がテルモスの湯をむせない様に少しずつ飲ませる、その間大内はツエルトを出して遭難者に被せ体温の低下をくい止める。ザックの中を調べてみるが特大の焼酎のボトルが一本他はオヤツ類だけ、雨蓋が開いて財布が落ちそうになっていた。小屋に戻って知らせるか下山して知らせるか判断に迷う。小屋には30分程で戻れるが又あの風雪のなかに戻るのはリスクが高い。下って樹林帯に入れば安全だが方角も手探りだし小屋までは1時間程かかるだろう。それまで遭難者の体力がもつかどうか不安だ。結局救助と安全を両立させる為下山する事にした。一人遭難者に付き添っていてやりたかったが一人で行動するのは危険なので二人で下山する。いきなり吹き溜まりで腰までのラッセル、さらに進むと6~7人のパーティーが登ってきた。「おーい!」と大きく手を振って叫ぶ。「一人倒れている、救助を手伝ってくれ」と声をかけるとリーダーらしき人が遭難者の性別、年齢を尋ね最後尾にいた二人が連絡の為下山、残りのメンバーを遭難者の所まで連れて行く。最初は交代でおぶって行こうかと思っていたが遭難者のザックの中身を全て出して分担して持ちザックの上に寝かせソリ代わりにして引っ張ることにする。雪の深い部分は重たかったが下りになると非常に楽でどんどん下ってゆく。またさらに登ってくる人たちも何も言わなくても手伝ってくれ総勢12~3人になる。皆自分達の予定をキャンセルして手伝ってくれる、非常にありがたいことだ。やがて遭難者の意識も戻り出し名前、年齢が言えるようになった。かなり下った所で救助隊2名が合流、さらにその後スノーボートを持って4名の県警レスキュー隊が到着、スノーボートに乗せかえて赤岳鉱泉まで下ろし小屋へ収容して遭難騒動は無事終了した。
 急いでテントへ戻ってみると全員居たので昨日からの出来事を手短に報告する。聞けばこれから我々の捜索に出るところだったらしく昨夜は小屋からの連絡はなかったらしい。電話に出てくれた赤岳鉱泉の担当者がその後どう行動してくれたかは不明だが緊急時の山小屋の役目が充分に機能していたかは甚だ疑問だといわざるを得ないであろう。今日の行動は取り止めて昨夜の夕食のうな丼を食べぼんやり過ごす。12時過ぎ辰巳下山。夕食(寄せ鍋)後「同人おけら」の松下夫妻のお招きを受け鉱泉小屋で小宴を催していただく。松下夫妻にも心配をかけてしまったようですみませんでした。テントに戻りラジオから流れる「紅白歌合戦」を聞き今年も山の中で年を越せる満足感やら安堵感やらを感じながら眠りに付く。

文章/大内