2010年3月19日〜3月23日 硫黄尾根
メンバー/森田CL、辰巳SL、羽賀、松田、清家

3/19(金) 湯俣 晴嵐荘冬季小屋
 14:00到着
森田会長と辰巳Lは明日に備えて、硫黄尾根取り付き点を偵察に行く。
松田、清家、羽賀で夕食の準備を始める。水は高瀬川の水を使う事にする。若干硫黄の臭いがするがそれ程気にならない。今日の夕飯は清家君の焼ラーメンマーボー味だ。初めての料理なので楽しみだ。
 肉と野菜を炒め水を入れて沸騰させる。沸騰したら麺とスープを入れて五分ほど待つ。麺が水分を吸収するのと、沸騰して飛んで行くのとで水気がうまく無くなっている。マーボー味が結構旨い。腹も膨れた事だし風呂に入って寝よう!という事で河原の露天風呂に順番に入る。星空を眺めながらの露天風呂はすこぶる快適でした。

3/20(土)
 4:00起床
朝食はスパゲッティー。麺は3分で茹で上がり、茹でた麺に粉ソースを混ぜ込めば簡単たらこパスタの出来上がり。しかし麺を茹でた残り湯のマズイことマズイこと。これをテルモスに入れた清家君は兵だ。

 14:00硫黄岳到着
早速雪洞を掘り始める。まず幅1m×高さ2mの縦穴を二か所、間を1.5m程離して掘る。雪が結構硬く凍っていたのでスノーソーで切れ目を入れ、スコップでブロックとして掘り出していく。今回初めての雪洞掘りだったので気合を入れて掘り始めたのはいいが、5分も経たないうちにスコップのブレードが雪と一緒に滑落していったのには泣きそうになった。アーッと言う間に谷底へ。シャフトとブレードはしっかりテープで留めておきましょう。一時は戦意喪失していたが、気を取り直して出来る事をやる。縦穴が掘れれば、次は横穴。天井が崩れない位の厚みを残して、まずは二つの縦穴を奥でつなげる。その後、人数分の広さを奥へ横へと広げていく。途中でブッシュが出てきたので、奥に広げるのを諦め、横へ広げていく事にする。今回は五人分の広さを掘るのに、2時間半位だったろうか。片方の縦穴は掘り出したブロックで塞いでしまい、その前をトイレにする。もう一方にはツェルトを張り出入り口にする。翌日の天候悪化が判っていたので、ピッケルでツェルトの四隅をしっかり固定し、その上にブロックを乗せて頑丈にする。中に入ってみると静かで寒くもなくなかなか快適だ。ただ、火を使うと天井が溶けて水が垂れてくるのでその場所は要注意。
 今夜は松田氏の十八番、煮込みラーメンだ。今回もペミカンを作ってきていた。やはり旨い。腹いっぱいで寝る。
 夜中、冷たいものが顔に掛る。何だ何だと起きると、強風で入口のツェルトが開いている。森田会長と松田さん清家君が応急処置に出る。氷雨だろうか、びしょびしょで戻ってくる。気を取り直してもうひと眠り。どのくらい経っただろうか、またまた顔に冷たいものが。今度は粉雪みたいだ。またかと思う。このまま寝ていたい気もするがそうもいかない。会長と松田さんが外で手直し。羽賀は内側からお手伝い。
 今回のように夜中に緊急に行動しなければならない時は、ヤッケを着たまま寝袋に入った方がすぐに行動出来て良いのだが、如何せん寒い。ヤッケを脱いで寝袋に入った方が確実に暖かい。さてさて、これは悩ましい問題だ。

3/21(日)
 朝起きると入口が雪で埋まっていた。森田会長が掘り返して外へ出ると、暴・風・雪。今日一日停滞と決まる。そうとなれば、まずは雪洞の整備だ。中をもう少し広く掘り返す。入口付近は風が吹き込んで寒いので、雪洞の中にツェルトを張る事にする。入口にはブロックを積んで、人一人がぎりぎり這いだせる位にして、空いているところは清家君のザックで塞ぐ事になった。南無阿弥陀仏、チーン。出入りする時はそのザックをどけて出入りする。他にはトイレ場迄の道に防風ブロックを積んでみたりと、いろいろ試してみる。しかし、なんだかんだといってかなり楽しい!のは私だけだろうか?
 朝食は雑炊。体が温まる。停滞の時は腹がふくれれば、寝るのみ。それぞれ寝袋へ入り、おやすみなさい。羽賀は一人ラジオを聴きながら起きている事にする。下界でも強風のため一人が亡くなったというニュースを聞く。雪洞の外は大荒れに荒れているのだろうが、中はいたって静か。雪洞は偉大だ。
 昼過ぎに皆起き始め、濡れている手袋を乾かし始める。雉打ちに外へ出る。空を見上げると少し明るい。太陽が出ているのだろうか。吹雪の中に立って周りを見てみる。視界は10〜20m位だろう。風の吹いてくる方を向くと雪が顔にあたってかなり痛い。ここぞとばかりに写真も数枚とる。もちろん近くの木が写るだけ。大した写真は撮れない。冬山、雪山にいるんだなぁとつくづく感じる。こんな天候化で行動するのは御免だが、ボーっと周りを見ながら立っているだけで何か満たされるものがある。求めていたものが此処にある。いいなぁ、と思うのは私だけだろう。
 さて今日の夕食は羽賀が担当する。簡単にできて旨いものをと思い今回はチャーシュー丼にした。出来上がるまでは焼酎とつまみで時間をつぶしてもらう。作り方はいたって簡単。湯煎するだけ。材料はアルファー米、チャーシュー、生卵、白菜キムチ、納豆。アルファー米と生卵以外は凍らせてきたが、数日経っていたので既に解凍されていた。なのでチャーシューと生卵を8分ほど湯煎にかけ、キムチと納豆はコッフェルの蓋の上で温めることにする。十分温まったら、ご飯の上にチャーシュー、キムチ、納豆、半熟?卵の順番に乗せ、最後にタレ(醤油1.5:みりん2の割合で少しとろみが出るまで火にかけたもの)をかけて出来上がり。お好みでネギや海苔をまぶせばさらに美味(たぶん)。
 腹がふくれればやることは一つ。寝る。翌日7時出発の予定にして。就寝。

3/22(月)
 翌朝、森田会長が恐る恐る外へ出ると、快晴!早速朝食のお雑煮を食べて外へ。昨日の荒天が嘘のよう。日の光と雪面の照り返しとで眩しすぎるくらいだ。稜線はザラメ状のアイスバーンになっている。滑落注意。入口を塞いでいた。ツェルトを掘り出すのに結構時間がかかる。槍ヶ岳をバックに写真を撮り、撤退開始。  16:00湯俣着 早速、森田会長は露天風呂へ。汗を吸った服を再度着るのが嫌だなぁと言いながらも風呂の誘惑には勝てず、入りに行かれる。帰って来るとすこぶる上機嫌。入るだけの価値はあるぞ、とのこと。松田氏、清家君も順次入る。羽賀は足湯だけと言いながら向うも、風呂の前に来るとやはり誘惑には勝てず、全てを脱ぎ捨て、風呂に飛び込む。本当にいい湯だ。辰巳Lも入ってから山での最後の晩餐となる。酒が無いのが残念。
「ジャンケンでだれか葛温泉まで一っ走り行くか!」
「いやいや、多分帰ってこないですよ。」
てな話をしながら、辰巳女史の豚キムチと天ぷらそばを頂く。昨日の残りのアルファー米で豚キムチチャーハンも作る。野菜が食べれるのが有難い。
 撤退時のバスの時間を調べていなかったので、6時出発として、就寝。

3/23(火)
 4:00起床
キャベツ入り塩ラーメンで腹を満たし。小屋を離れる。嬉しいような、寂しいような。

文章/羽賀



 3/18(木)
 難波OCATに集合して22:00発の白馬・栂池行の夜行スキーバスで出発する。
 今回の計画は、19日 葛〜湯俣、20日 〜硫黄岳〜硫黄台地、21日 〜赤岳〜白樺平、22日 〜槍ヶ岳〜槍平、23日 下山、の予定。
 しかし出発前の予報によると、黄海付近で発生した低気圧が急速に発達しながら日本海を北東に進み北海道の東海上で強い勢力になり、20日〜21日にかけては全国的に大荒れになるという最悪の予想。典型的な春の嵐のパターンで、厳しい山行になりそうだ。
 
 3/19(金)
 6:00大町温泉郷でバスを下車。朝食を済ませタクシーで葛へ向かう。朝焼けが美しい。この時期、車は葛温泉まで。ここから今日一日掛けての、湯俣までの長いアプローチを開始する。身支度を整え7:00出発。空は快晴で雲一つなく、とても気持ちがいい。
 七倉ダムを過ぎて、登山指導所で計画書を提出する。長いトンネルを抜け高瀬渓谷沿いに東電の管理道路を進むと、高瀬ダムに着く。ここからは唐沢岳幕岩が一望出来る。これから経験を積んでレベルアップし、いつか登ってみたい。
 ダムを越えてまた長いトンネルを抜ける。きれいな青緑色をした高瀬湖のほとりをしばらく進むと、だんだんと雪が多くなってきて、深くはまる所も出てきた。発電所を過ぎてまたしばらく進み、湖から川になった辺りから林道がスタートする。まだまだ先は長い。  ここから会長が1人先行してワカンを装着し、あとの4人はまだツボ足で様子を見る事にするが、歩き出すとすぐにワカンの苦手なトラバースの斜面や木道の上にこんもり雪の積もった嫌らしい箇所が出て来て、ワカンを着けるタイミングがつかめず、結局全員ズボズボと膝まではまりながら最後まで歩く事になった。
 途中、名無非難小屋に立ち寄り、14:00湯俣に到着。今宵は晴嵐荘の冬季小屋のお世話になる。後半足元が悪く疲れたが、晴天の下景色を楽しみながらの気持ちのいい一日だった。

 3/20(土)
 心配していた天気もまだ大丈夫な様だ。昨日と同じで風もない。辰己さん、羽賀さん、清家君、松田、会長の列順で5:15湯俣を出発する。
 ヘッドランプの明かりを頼りに、昨日の偵察のトレースをたどる。水俣出合が硫黄尾根の末端だ。吊橋を渡り川岸をへつる。昨日、会長と辰己さんが大きな石を並べてルート工作してくれているので、足を濡らさずに済んだ。ここから水俣川左岸をトラバースして行き、取付点に着く。明るくなってきた。
 1500〜1600m付近で尾根上に出て目印の赤布を付け、樹林帯を尾根通しに進んで高度を上げて行く。途中から羽賀さんと清家君が交互にトップに立って、パーティーを引っ張る。樹木の背丈が段々低くなってきて、2031ピークに到着。ここから2246ピークまでが硫黄岳ジャンダルム群と呼ばれる所で、P1〜6までのピークを越えて行く。
 気温が上がって雪の状態が悪くなってきた。アイゼンに付くダンゴをこまめに落としながら、一歩一歩慎重に足を運ぶ。P2からは灌木を支点に1p懸垂下降して、P3へと登り返す。P3からは東側の水俣川の方へ、残置のスリングとボルトを使って2p懸垂下降をし、P4は西側の湯俣川の方にトラバースして通過。続くP5乗っ越して急登したら2246のP6に到達する。目の前に硫黄岳が大きく構えていて、奥には槍〜北鎌尾根が見える。P6からは急なハイマツ帯を下降するが、ズボッと深く踏み抜く所が多く、転倒しないように気をつける。
 小次郎のコルからは長い登りが続き、切り立った細い雪稜を進むと、凹状雪壁と呼ばれる所が出て来るが、雪が悪くトップの清家君が苦労している。ここは右側の岩に取付いて、雪に埋もれたハイマツを掴み乗り越えた。ここからはもう目の前が硫黄岳の頂上で、あとは直登するのみ。しかし私は最後の最後でバテてしまった。息が上がって思うように足が前に出ない。何とか頂上に着いたのが14:00.。もう少し先の硫黄台地まで行く予定だったが、今日はここまで。会長の指示で北側に向いたゆるい斜面に雪洞を作る事にする。
 この頃から南からの風が段々強くなってきた。今後、寒冷前線の通過とともに風向きを西に変えて気温がグッと下がると言う予報だ。明日はどうなるだろうか?

 3/22(月)
 7:45湯俣に向かっての撤退を開始する。昨日一日停滞した事による日程の問題と、新雪が積もって赤岳前後の核心部が相当困難な状態だろうと言うのがその理由だ。辰己さん、松田、清家君、羽賀さん、会長の順で降りて行く。
 「クラストした雪の上に新雪が乗っているから、滑ると止まらないぞ!」
 と、会長から注意を受け、気を引き締める。一昨日に登って来た所だが、雪が付いて大きく様子が変わっている。
 まずは凹状雪壁を1p懸垂下降する。続く小次郎のコルまでの雪稜は、ナイフのように尖っていて、3Pに渡って辰己さんと会長が交互に張ったFIXロープをプルージックとカラビナスルーで通過する。ここから先のジャンダルム群も行きと同じ様に慎重に引き返して行き、約8時間掛けて16:00に湯俣に到着する。
 
 3/23(火)
 6:00湯俣を出発し、アプローチで歩いた長い道を引き返す。10:00葛温泉に着き、手配しておいたタクシーで信濃大町へ向かい、駅近くの民宿で風呂に入って駅そばを食べ、電車で松本へ行き、高速バスで大阪へ帰る。

文章/松田